伝説・記録

「若宮八幡縁起」菊池万雄著 近世村落の歴史地理学的研究より引用
康平9 年( 1 0 6 6 ) 、源義家、九門左家( 雲在家、現在の牛尾) の長司、目黒勘次郎秀重の館に宿し
て、その夜秀重に「製紙に便利な水を教えた」とあり秀重この地に紙漉業をおこして会津紙のは
じめとした如くみられる。 
康平9 年1 2 月2 8 日夜九門左家の長司、目黒勘次郎秀重が館に宿す、その夜秀重に重謹しみて
義家公に語って曰く「吾、今近郷の長と雖ども心にみたざるもの一つあり、そは貧なり、吾、源一
族にして勢州員弁郡目黒の郷長なれば目黒と称するも・・・・朝、暮、努力するも此の地辺びにし
て今もって郷なし、吾が故郷目黒は山中なれども製紙業せし今、製紙を望むも水不便にして、思
に任せず、と申しあぐるや義家公「この家より南百歩に至れば自在に水を求め得べし」と・・・・・
「百姓民間営風俗改書上志誌」 出が原の項( 1 6 8 5 年)西会津町史民俗 より引用
一、此所之家職春秋雪之中紙を漉、御年貢上納之足ニ少々仕、此村ニ而中判之のり入らすを漉
初候由ニ而出ヶ原紙と名附、其以後直し杉原大障子、小障子、御鼻紙目録等品々御用紙を漉、
御役ニハ御目録紙」五束一帖ツツ毎年上納仕、此外牧村、堀越村、芹沼村、上野尻村ニ而出原
同前ニ品々御用紙を漉・・・・
「新編会津風土記」巻之三十三1 8 0 3 ~ 1 8 0 9 編纂河沼郡出ヶ原村
□ 土産□ 紙 其品杉原紙に比すれば稍及ばざれども堅強にして久に耐ふ、本組の諸村にて製
するもの多けれども、初め此村より漉出せし故総て出原紙と称す、此村にて今は杉原紙をも製す
巻之九十四陸奥国河沼郡之七
野沢組・・・・・此組ノ諸村多ク紙ヲ漉テ産業ヲ資ク・・・・
出ヶ原村
昔何人ニカ伊豆国ヨリ来テ紙ヲ漉コトヲ教シ故、伊豆原村と云イシヲ、後今ノ字ニ改ムト云、・・・
PAGE TOP